12月 21
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1942年4月1日に開学し、1951年3月31日に閉学となった、わずか9年間の幻の学部、東京帝国大学「第二工学部」。
いずれ行われる連合国との総力戦に必要な技術者の育成のため陸海軍の要請を受け、当時東大総長だった「軍艦の神様」平賀譲主導のもと開学します。

「第二」という響きにある格落ち感、千葉の片田舎にあった辺鄙なキャンパス、突貫工事による粗末な校舎ゆえに第二工学部に振り分けられた合格者には抵抗感があったようですが、戦局の泥沼化に伴う食糧事情の悪化、そして空襲の激化により、その立地ゆえ、戦争被害の軽微な第二工学部は奇妙な隆盛を迎えます。

しかし戦争の時代ゆえ、軍事色の強い研究が主となり、その研究内容には、特攻ロケット兵器「桜花」、ジェット戦闘機「橘花」、さらには本土決戦に向けて和製V2ロケットの研究開発も行われました。
それゆえ戦後「戦犯学部」の汚名を着せられ、閉学の憂き目にあいますが、わずか9年間の第二工学部の卒業生から、戦後日本の高度経済成長を支える人材を数多く輩出していきます。

開学に至るまでの経緯、入学者の感想、研究内容や成果など、単なる批判ではなく、第二工学部がその後の日本の発展にどれくらい寄与したかを客観的に記述。
学問と政治を考える一冊です。